24日の夜だから、多くの人が恋人と過ごしたり、家族と過ごしたり、素敵な時間が世界のあちこちで経過しているのだと思う。
私は今日の夜は子供たちがいちばんうらやましい。サンタさんが部屋に来てくれる、みなさんが。いつのまにかクリスマスはデートをする日という風潮になっているけれど、私にとってはクリスマスはあくまで奇跡の日で、せっかくだし静かに、あんなに私のことを喜ばせてくれた、信じさせてくれた、勇気をくれた自分の中のサンタさんに感謝する時間にしたいと思う。

photo by paktaso.com

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私にとってクリスマスイブは1年でいちばん好きな、特別な日だった。サンタクロースという人がきて、ほしかったプレゼントをくれる。現実的に考えてありえないことが実際に起こる、つまり魔法がほんとうになる日だった。11月の自分の誕生日よりもなによりも、12月24日の夜と、12月25日の朝が、一番楽しみだった。

サンタさんが私のことを「いい子にしているか」とどこかから見ていて、そして本人に直接話したわけでもないのにほしいと思っていたプレゼントを選んで、そして鍵をかけてあるはずの家の、私の枕元にそれをとどけてくれる。私だけでなく、世界中のみんなの枕元に。どう考えても無理なのに、現実に起こっているのだから、つまり魔法というものは実在するんだ、と。現実的に考えてありえないことを願う、叶うと信じることは間違っていないんだという証明の日。

24日の夜中には寝る前にサンタさんにほしいプレゼントを言うという習慣があって、私はいつも「第一希望は魔法の杖、第二希望は魔法の絨毯、第三希望は空飛ぶほうき・・・それが無理だったら、スマブラの新しいソフト」というようなお願いの仕方をしていて、そしていつも、最後に言ったものが届いていた。

24日の夜は夜中に何度も目が覚めそうになる。でもまだサンタさんがきていないかもしれないからと目をつぶったままもう一度寝ようとする。そんなことを繰り返しているうちにいつのまにかぐっすり眠っていて、朝が来て、目が覚めて、ついに、と心臓がきゅっとなる。カーテンの隙間から漏れる光でもうまちがいなく朝だということを確認して、仰向けのまま、緊張しながら、手を、枕元に伸ばしてみる。

 

包装紙の香り。四角い箱の手触り。赤い包みに緑のリボン。魔法が起きた証拠であるそのプレゼントを抱きかかえて、1年で1番、私は幸せだった。

 

2段ベッドの上で眠る弟を急いで起こしにいって、ふたりで大喜びする。あのときの記憶の中での私の弟はまだすごく幼くて、色が白くて私よりも小さくて、誰よりも最初に、一緒にこの幸せを共有する。それからふたりでパパとママを起こしにいって、サンタさんがきたと大騒ぎする。大きな音をたてて階段を走り降りて、朝ごはんも食べずにふたりでサンタさんにもらったゲームでさっそくあそぶ。

魔法は本当にあるんだと信じていた。サンタさんというものが実現するのであれば、私が魔法使いになることも、空を飛ぶことも不可能じゃないはずだって思った。

この記事を、こどもの人が読むかもしれないから、細かい事情は書かないけれど、色々あって私のところにはサンタさんは来なくなってしまった。
こんなことを言ったら笑われるかもしれないけど、18歳のクリスマスの朝に枕元に手を伸ばしてしまって、やっぱり奇跡なんてないんだ、そして私は来年から一人暮らしになるから、もう私のもとには一生サンタさんは来ないんだと思ったら、すごく悲しくなって、寂しくなって、すこしだけ泣いてしまった。

サンタさんはもうずっと来ていない。
たぶん今日の夜も。
もう何の言い訳もできないような大人になったにも関わらず、
明日の朝、目が覚めて、きっと枕元をみてしまう。

ただし。いずれにしても会うことができないのであれば、それが現実に、触れられるものとして存在するか否かは実はあまり関係がないのかもしれない。私にとってのサンタクロースは親切なおじいさんではなく、「魔法というものは実現しうる」ということの、「なんでも叶えることができる」ということの象徴だった。いまでもあらゆる物事に対して「できないことなんてない」と感じていることが多いが、あの頃に比べると減ってしまった。だから、こうしてしっかりと思い出して、その気持を薄めてしまわないことがたいせつだと思っている。

とはいえクリスマスには、何かとくべつなことが、それこそ「サンタさんが来た」というのに匹敵するような奇跡みたいなすてきなことが、起こるような予感が毎年してしまう。
せめて今日の夜は、私も、みなさんも、とびきりすばらしい夢をみて眠れるといいな。そしてサンタさんもそろそろ私のことを思い出して、また来てくれないものだろうか。今年、いい子にしていたと思うのだけれど。