最初に断っておくと、ドラマは見ていない。あらすじも知らない。毎日深夜まで仕事あるいは読書をしているのでそもそもドラマを見るという習慣がない。でも、「好きな人がいること」というこのタイトルだけはなんだかとても印象深くて、心の内側にすっと入り込んで、ひっかかっていた。不思議な表現かもしれないけど、ちょっとだけ傷ついていた。

昨日参加した集まりで、たまたま話していた人が、このドラマのタイトルを考えたクリエイターさんだった、という出来事があった。素敵な人だった。それをきっかけに昨日の夜から今日の昼にかけて、「好きな人がいること」というこの言葉について考えて、思い出したことがあったので書き留めておこうと思った。

好きな人がいること。思い出されたのは、中学のときの野球部の先輩。

私はテニス部に所属していて、テニスコートと野球のグラウンドは隣り合わせになっていた。高いフェンスの壁があり、野球の球やテニスボールが、ザン、という音で頻繁にそこにぶつかっていた。どちら側からもあちら側がよく見えるけど、見ていると思われると困るので、みんな見ていないふりをしていた。フェンスの近くに蛇口があって、水を飲んで顔をあげると野球部の人たちがみえるから、そのタイミング(水を飲みおわったとき)はわざとらしくなく自然に先輩を見ることができた。そういうわけで私は必要以上にこまめに水を飲んでいた。

ごくたまに、野球やテニスのボールが高く揚がりすぎてフェンスを超えてしまうことがあった。そのときはボールをみつけた人が拾ってあげて、フェンスの隙間に押し込んで返してあげることになっていた。私は、少しでも先輩と話すきっかけを作りたくて、壁打ちをしながらたまにわざとフェンスの向こう側にボールを飛ばした。あんまり多くやってしまうとよくないので、月に1回くらいまでにしていた。でも野球部にはたくんさんの人がいて、全然先輩には拾ってもらえない。だから先輩がフェンスの近くにひとりでいる、という奇跡的なタイミングを見計らって、フェンスを超えてちょうどその近くに落ちるようにコントロールしてボールを飛ばそうと努めていた。おかげで我ながら呆れるくらいの技術が磨かれた。

一度だけ、先輩にボールを拾ってもらえたときのことを、よく覚えている。

いつものように壁打ちをして、調子がよかったので軽い気持ちでちょっと勢い良く飛ばしてみたらフェンスを超えてしまった。ちょうどボールが先輩の足元から1メートルくらいのところに落ちた。何度もシュミレーションしていたのに、いざそのときがきたら頭が真っ白になってしまった。笑顔でさわやかにお話するはずだったのに、実際には、緊張して愛想のない表情で「あ、すみません」と言うことしかできなかった(しかも全然かわいくない、消えるような枯れた声で)。ボールは落ちた場所から少し遠くまで転がっていき、先輩はそれに気づいて走って追いかけた。わざとやったことなのに、わざわざ拾いに行かせてしまって、本当に申し訳なく思った。しゃがんでそれを持って、こちらに歩いてきて、フェンスの隙間にボールを押し込んでくれた。「すみません、ありがとうございます」「はい。」これが私の先輩との会話のすべてだった。

この1回しか交流はなかったのに、先輩に憧れていた期間はとても長くて、毎日テニスコートに行くのが、そして水を飲んでフェンスの向こう側を見るのが、壁打ちをするのが、いつも楽しみだった。ボールのコントロールもうまくなった。実際私は運動神経が悪く、走るのも遅いのに、コントロールの巧みさと並ならぬ努力だけで試合にけっこう勝っていて、キャプテンにまでなった。バレンタインの何ヶ月も前からどうしよう、どうしようって悩んで、でも急にチョコを渡して野球部の間で話題になってしまったらテニスコートにいるのが気まずくなってしまうと思って、直前まで悩んだけど、なにもできなかった。先輩はあろうことか、私の尊敬していたテニス部の綺麗な先輩と付き合っているという噂になり、ああお似合いだな、嬉しいことだよねって、鏡に映った自分に向かって切なく微笑んでみたりした。卒業式では心のなかで、さようならって、思った。あの頃の私は紛れもなく「好きな人がいる」という状態だった。

好きな人がいること、というのは、こういうことなんじゃないかって思う。全然報われないとしても、まるで春の始まりみたいに毎日がそわそわと輝いてくる。大人になって男性とお付き合いをしたりデートしたり、といったことは増えたけれど、あの頃みたいな「好きな人がいること」に関しては、中学生の頃の自分のほうが、素敵だった。消えそうな火のような期待の薄い憧れを、眠る前に思い出したり、夢に登場させたり、フェンス越しに眺めたりして、可能性がなくたって大事に大事に守ることができた。今なんて、まずめったにその火が現れないうえに、せっかく灯りかけた火も、よく考えたらそんなに気が合わないのかなとか、LINEが返ってこないなとか、たいして私に興味がなさそうだな、とか、そういうほんのちょっとのことで、もういいや、ってふっと消えてしまう。片想いという状態に対する耐性がどんどんなくなっていって、恋というものを始めるか否かを可能性ありきで「検討」している場合すらあるように思う。悲しい。このドラマのタイトルに傷ついたのは、そういうふうになってしまった自分に気づいたからだった。

私ももう来月で26歳になる身で、すでに友達の中には結婚していてお母さんになっている人も少なくない中で、今更「好きな人がいること」について語るのは恐縮ではある。でも「好きな人がいること」って、本当に大切な感覚だ、と思ったので、忘れたくなくて書いた。報われなくても、叶わなくても、せっかく灯った火を大切に守っていける自分でありたい。

子供じみているかもしれない、でもこの感覚を忘れてしまうくらいなら、大人になんかなれなくていい。しかし生きている限り歳をとり、14歳のあの頃のままではいられなくて、自動的に大人になってしまうことを、切なく思っている。せめて大事な感覚を失わないようにしたいし、もし失ってしまったとしたら、せめてせめて、それに自覚的でありたいと願っている。